妻の出産(我が子の誕生)には立ち会えなかったときの話

妻の出産(我が子の誕生)には立ち会えなかったときの話

娘は2018年1月16日に誕生した。

我が子が生まれる瞬間といえば、夫は陣痛で苦しむ妻を献身的に支える役目をまっとうし、我が子が生まれた瞬間は、生まれたばかりの我が子を前にして、長い陣痛に耐えた嫁をねぎらい、微笑み合うのが一般的な出産の光景ではなかろうか。

そうした良き夫としての対応が自然とできるのかどうか、(自然とそうした振る舞いができる自信はなかったので・・)せめて精一杯演じられるのかどうかなど、僕自身も嫁の出産を目前にして、さまざまな想像をしていた。なんなら良き夫像を演じるためのイメトレだってしていたぐらいだ。

だが出産に立ち会うことはなかった。娘が生まれるという一大イベントにもかかわらず、蚊帳の外にいた夫の話をしていこう。あぁ無情だ・・

嫁は里帰り出産

嫁は里帰り出産という選択肢を選んだ。

ただ嫁の実家は隣の県のため、車を走らせれば2~3時間で駆けつけることができる。少々変わったことと言えば、嫁の実家はフェリーで15分ぐらい海を渡った島の上にあるということぐらいだろうか。

ただ何も問題はない。その島はコンビニエンスストアどころか信号さえない場所だ。もちろん産婦人科なんてものがあるわけがなく、陣痛がきたら船で島を離れ、本土の産婦人科のある病院まで移動することになっていた。

事前の打ち合わせでは、島内で産気づいた時点で、僕に連絡を一本にいれれば、そこから病院まで車を飛ばしてかけつける手はずになっていた。

とある日の朝、一本の電話が鳴る

出産予定日を10日前ぐらいに控え、久しぶりの一人暮らし生活を満喫していた。口うるさい誰かに監視されることなく、好きな時間に自分の好きな食べ物を食べる生活もなかなか良いものだ。洗濯物を洗濯かごにしまわなくとも、誰にも何も言われないのだ。ここは楽園なのでは・・?  とさえ思っていたぐらいだ。

そんなとある日の朝、一本の電話が鳴る。スマホの画面には嫁の名前が表示されている。「おっ、いよいよ陣痛か。早速準備でもするか」といった思考が頭を駆け巡ったが、電話を出ると単刀直入「産まれました」と電話越しの嫁は言う。

言われた言葉の意味を理解するのに、しばし時間がかかった・・いったい何が産まれたというのだろうか、まさか赤ちゃん・・そんなわけないか(事前に連絡がくる手はずになっていたし)。きっと彼女の中で世界をより平和にさせるためのGOODなアイデアでも生まれたのだろうきっと・・

いやいや・・ハァ!?

事前の打ち合わせと違いますやん! 一瞬言葉を失い、状況を把握するのに、フルスピードで頭を回転させた。お察しの通り、産気づいたタイミングで夫へ連絡をすることなく、そのまま出産という流れになったのだ。

嫁は「テンパっていて連絡どころじゃなかった」と今でも言っているが、まずは夫の支えを求めるものではないのだろうか? 少なくともうちの嫁に関しては、夫の支えなど微塵も必要になかったらしい。

せめて義母に頼んで連絡するぐらいのことはできるだろう! とも思うのだが、きっと普段から嫁のことを第一に考えていなかった仕返しだろう・・と思っている。

なんともひどい話ではないだろうか。普段から嫁には優しくしておくべきだと、このときに学んだ。兎にも角にも、無事に生まれてきてくれてありがとう娘ちゃん。

とりあえずその日は仕事に

娘が産まれたという実感が沸くことなく、その日はとりあえず仕事に行き、いつも通り仕事をこなした。そして家に帰り、自分の分だけではあるが、少量の洗濯物をして、夜ご飯を食べ、寝る前にはいつもの日課であるお酒を飲んで酔っ払った。

おいおい、仕事終わりにでも駆けつけろよ! というツッコミをいただくかもしれないが、自分が父親になったという実感が全くなく、なぜだかその当時は「いちはやく会いたい!」なんていう、父性をくすぐるような気持ちも薄かったのだ。恐らく出産一ヶ月前から里帰りをしていたことも、そうした気持ちを生む原因となったのだろうと言い訳をしておく。

里帰り出産は夫の父親になる気持ちを育む期間が失われる。むしろ夫は久方ぶりの一人暮らしを楽しんでしまうぐらいだ。勝手な言い分ではあるが、父親としての責任感やなんたらをつくるには、できるだけ出産間近まで夫と一緒にいるのが、世の中の嫁にとっては良い選択なのではないだろうか。

結局初対面は5日後

娘が産まれたのが火曜日の早朝だったため、結局娘と初の対面をしたのは、5日後の土曜日になってからだった。

本当に娘が産まれたのか、自分が父親という尊い存在になったのか、半信半疑な気持ちで病院にむかったのだが、確かにそこに娘はいた。小さな小さな娘ちゃん。娘と初めて会ったときのことは、また別の機会に書こうと思う。

おわりに

当時は父親としての実感がまったくなかった僕だが、今思うのは「娘がこの不条理な世界に生を享けた瞬間」という歴史的イベントに立ち会えなかったのはなんとも悲しい。

娘の出産にはやっぱり立ち会った方がいいよ!