親として子供を育てることの責任と務めについて

親として子供を育てることの責任と務めについて

娘という存在は、本当の本当に可愛いものだ。きっと世の中の親の多くは「自分の子が一番可愛いんだ」なんて妄想に陥っているのだろうが、例に漏れず僕もそのうちの一人だったりする。

娘も一歳を過ぎ、だんだんと心の発育も進み、自我が芽生えるようになってきた。そうした成長を感じられるのは親としての喜びでもあるのだが、同時に親としての”責任”や”務め”とやらを、ひしひしと感じるようになってきた今日この頃。

娘ちゃんは僕にとって野原に咲く可憐な一輪の花のように愛おしいわけだが、草花のように愛でるだけではいけない。親として、我が子をしっかりとした大人に成長するための務めを果たさなければならないのだ。

 

いつまでも親が助けてあげられるわけではない

いまは絶賛子育て中ということもあり、身の回りの何もかも世話をしている(特に嫁が)。食事だって、お風呂だって、トイレだって、世話を焼いてもらわなければ生きていくことさえままならないわけで、とにかく生活の何もかもを助けている(特に嫁が)。

でもいつまでも親が面倒を見ていくわけにもいかない。今は娘にとっての世界は家族が全てなんだろうけど、これからはどんどん外の世界と接触することになる。

幼稚園や保育園に通えば友達だってできるだろうし、小中学生にもなれば恋人だってできるだろう。大人になれば自分の夢を持って就職だってするだろうし、成長とともに家族以外のネットワークはどんどん広がっていく。

そうしていつかは自立していくものなのだ。誰かと結婚をするにしろ、一人で生きていくにしろ、しっかりと自分の人生を歩んでいくための力を身につけなければならないのだ。

それは気持ちどうこうといった問題ではなく、寿命を考えれば親の方が先に死んでしまうわけで、否応なしに自立しなければならないときやってくるのは、避けることができない。

そうすればもう親は助けてあげることができないのだ。どんなに願おうとも、心配しようとも。

 

一人で生きていける力を養ってあげることが親の務め

だから親としての責任や務めとは、子供が一人でもしっかりと生きていける力を養ってあげること、だと感じている。

でも一人で生きていくことができる力って何だろう・・ と思われるかもしれないが、それは別に勉強ができればよいとかではない。もちろん勉強ができるに越したことはないんだけど、いい大学をでているのに要領が悪くて仕事ができない人って、皆さんの身近にも一人はいると思う。

それにプラスして言うと、要領よく仕事ができればよいという問題でもなくて、仕事はできるんだけど性格が悪くて誰からの助けも受けられずに孤立している人も、身近な存在で思い浮かべるのは容易なはず。

そうしたことを考えると、個人的にはIQよりもEQ(心の知能指数)を育んでいくことが、子育ての中でも大事だと思っている。

 

数値では表せない能力を高める

心の知能指数は、なかなか数値で表すことができない。だから子育ての指針においても、テストの点数だとか偏差値だとか、視覚的に表すことができるものだけを全てとしない。

それに僕個人の考えとして、豊かな人生を送るために必要なのは“非認知能力”と呼ばれるものと、“社会的ネットワーク”の二つが重要だと考えている。

 

非認知能力

まず非認知能力についてだが、これは自制心・努力できる力・コミュニケーション力・好奇心といった力の総称で、ある意味ヒューマンスキルと言ってもよいかもしれない。

こうした能力は、自意識を持つこと、夢を抱くこと、人生設計を立てるとき、目標に向かって奮闘するとき、仕事で成果を求められたときなど、あらゆる場面で役に立つ。

非認知能力を高めることは、まさに”生きていく力を養う”ということなのである。

 

社会的ネットワーク

“一人で生きていく力”といっておいて何だが、自立した生活とは言っても、人は一人では生きていけない。

生きていく上でも、仕事をする上でも、遊びをする上でも、多くの人と連携していくことになるし、利害関係だけでなく人生を豊かにするのは、人との関わりだ。困っている人に手を差し伸べたり、時には誰かから助けてもらったりする。そうした社会的ネットワークがしっかりと構築できていれば、人生の豊かさも高くなる。

だからこそ人から信頼されるように誠実な心を持ってほしいし、なによりも他者の痛みを理解できるような人間になってほしい。

 

まずは教育を・・

そうした親としての責任とか、務めのようなものを感じるようになったからこそ、娘が1歳になったタイミングで幼児教育というものを検討するようになったのである。

“ローマは一日にして成らず”という言葉もあるように、いくら自己啓発本を読んだり、名言を聞いたりしたところで、人格も一日では形成されないのだ。

娘が豊かな人生を送れるよう、良き人格を形成できるよう、今のうちからコツコツと始めるというわけ。幼児教育の検討については「1歳になったし幼児教育を検討している」の記事でも書いたので、そちらを参照いただきたい。

 

おわりに

正直娘ちゃんが生まれた時なんて、僕は立ち会ってもいないし、父親としての自覚なんてものも薄かった。ましてや親としての責任なんてものは、なんとなくでしか考えていなかった。

それでも娘が生まれて1年が経ち、僕も親としての責任とか務めとかを、こんなにも真面目に考えるようになったということは、少なからず親としても成長している証拠なのだろうか。

・・いかんいかん、なんだか真面目に語ってしまった。