かけがえのない大切な存在だからこそ、失うことが怖くなる

かけがえのない大切な存在だからこそ、失うことが怖くなる

僕は大人になってからというもの、意識的に大切なものをつくらないようにしてきた。それは失ってしまったときの喪失感に対する恐れからだ。

人間関係においては、ある意味で臆病な生き方をしてきたわけだが、娘という存在は僕の中のそうしたルールを壊すことになった。娘の存在は”かけがえ”がなさすぎて、娘が生まれてきてからというもの、ひどく心配性になってしまった。

 

自分よりも大切な存在

娘という存在のかけがえのなさは、半端じゃない。もちろん自分を育ててきてくれた両親もかけがえのない存在であることに間違いないが、もはや娘は次元が違う。大気圏超えどころか、次元さえ超越してしまうのだ。

常日頃から娘への愛情の深さをどのように表現しようかと考えているのだが、例えば、以下のような表現はどうだろうか?

 

【刑務所行きも覚悟できるレベル】

たとえば誰だって刑務所なんかには行きたくないはずだ。ただこう考えたらどうだろうか・・?

もし娘ちゃんがどこの誰かも分からない暴漢に襲われ、重篤な怪我を負ってしまったとする。この場合、加害者側の人権を尊重するような法の裁きに頼ることなく、自らの手で復讐してやろうと思う。それがたとえ刑務所行きとなっても決して後悔はしない。

 

どうだろう・・ 娘に対する愛情の深さが伝わっただろうか。
もう一つ例を出してみようか。

 

【臓器移植の現場にて】

もし成長の過程で娘ちゃんが大きな病にかかってしまったとする。そこで病院の先生は告げるのだ「臓器移植をすれば娘さんの命は助かります」と。

このような状況になったら、迷わず僕は肝臓だろうと心臓だろうと、自分の臓器を娘ちゃんのために捧げるだろう(婦人系の臓器であれば嫁に犠牲になってもらうか・・)。自分の人生よりも、娘の未来ある人生のために臓器を提供できるなら本望だ。たとえ自分が命を落とすことになろうとも決して後悔はしない。

 

しかと伝わったかどうかは分からないが、このぐらい、僕にとって娘という存在はかけがえがないのだ。

 

とにかく心配でおかしくなりそうだ!

こんなにも大切な存在だからこそ、どんな理由であれ、娘を失ってしまうことが、とても怖くなる。それは僕の人生の中でも最大の恐怖だ。

だからとにかく心配性になってしまった。

娘が泣きわめいていれば何か大きな病気ではないかと疑ってしまうし、いつもと行動パターンが違っていれば何かあったのかと不安になってしまう。

それに目の前に起きている事象だけならまだしも「もし何かしらの大病を患ってしまったら・・」とか「もし何かしらの事故に巻き込まれてしまったら・・」といったように、空想の中でもとめどなく最悪の事態が僕を襲ってくる。

いい加減心の平穏が保てなくなる。頭がおかしくなりそうだ!!

もういっそのこと「娘好きすぎて不安になるシンドローム」みたいな、新たな精神疾患を作り出して、白い巨塔率いる医療界に訴えかけてやりたいレベルである。

 

おわりに

娘といっしょにいれる喜びをかみしめる反面、娘への愛情の大きさに比例して、いなくなることに対する不安も大きくなってくる。もはやこれはどうしようもない。いや、これこそが愛というものの本質かもしれないな。

今日もまた、「明日の朝も、しっかりと娘ちゃんが目を覚ましてくれるように・・!」と祈りながら眠りにつくのであった。