まさかこんなにも娘を溺愛する父親になるなんて夢にも思わなかった
- 2018.10.09
- 0歳

娘が生まれてからというもの、僕の中の大事なものリストの中に、娘の存在が加わった。それも超上位に食い込む形でだ(正確に言えば、出産のための里帰りを終え、生後2ヶ月で一緒に暮らしはじめてからのことだが)。
娘ちゃんの本意であるか、本意でないかに関わらず、箱根駅伝でさえも足下にも及ばないぐらいのごぼう抜きを達成したわけだが、僕自身、まさかこんなにも娘を溺愛する父親になるなんて夢にも思わなかった。子煩悩という言葉は僕のために生まれたのではないかと勘違いするほどだ。
なぜならどちらかというと僕は子供嫌いだったし、どちらかというと男の子の方がほしかったからだ。
もともと子供はそこまで好きではなかった
子供という存在自体、そもそも好きではなかった。
特に10代~20代前半のころは顕著で、嫌なことがあるとすぐに泣くし、話の通じない子供とは、どうやって接してよいのか分からなかった。そうした苦手意識が、子供に対しての嫌悪感につながっていたのかもしれない。
同じ電車の中でよその子供が大声で泣きわめこうものなら、心の中では「うるさいな・・」と思い、無関心を決め込んでいた。もちろん自分にもそうした子供時代は確実にあったのだが、どこか次元の違う存在として子供のことを見ていた。
甥っ子が生まれてから徐々に子供をかわいいと思うように
そうした気持ちに若干の変化が訪れたのは、甥っ子が誕生したときだ。
僕の兄の子供にあたるわけだが、やはり身内の子供は、よそお宅の子供とは違うものである。笑顔がかわいいのはもちろんのこと、転んで頭をぶつけて泣いていても、お腹をすかせて泣いていたとしても、どこかかわいいなと思えるようになってきた。
それが20代後半ぐらいのことだろうか。
それをきっかけにして、街中でもベビーカーの中の子供を見ても「あぁ、かわいいな・・」と思うようになってきたし、電車の中で泣き叫ぶ子供を見ても「元気でなによりだ」とさえ思うようになってきた。
男の子を望んでいた
だんだんと子供好きとまではいかないが「子供っていいな」ぐらいに思えるぐらいの思考にまで成長し、ついに嫁が妊娠した。
僕自身はずっと男の子がほしいと願っていたのだが、医師から聞かされた性別は女の子だった。正直がっかりした。
ただあからさまにがっかりした様子を、目の前にいる嫁に見せるわけにもいかないので「そうなんだ! とりあえずは無事に生まれてきてほしいね!」という気のない返事だけをしてみせた。
妹や姉のいない僕にとって、家族の中での女性なんて母親しか知らない。そんな自分に女の子なんて育てられるのだろうかという不安もあったのだろうが、生まれてくる我が子が娘であることの事実に対して、特に意味もなく残念に思ってしまった(もしタイムマシンがあるなら、このときの自分をぶん殴ってやりたいね!)
女の子はバカかわいいぞ やばいぞ!
嫁は無事に娘を出産し、出産から2ヶ月ほどたってから我が家に帰ってきて、そこから一緒に暮らすようになった。
いやぁ、なんて言うのか・・「女の子はバカかわいいぞ! やばいぞ!」という、なんとも語彙力のかけらもない言葉で表現したくなるほど、娘のことを愛してやまないし、なんなら一つの人格にさえなってしまいたいほどだ(完全ににやばいやつ)。
娘と一緒に暮らしていくようになってからというもの、彼女は毎日そのかわいさをアップデートしてくるし、共有する時間が増えれば増えるほど、より大事な存在となってくる。いつか僕の人生を支配するのではないだろうかと思えるほど、娘のことを溺愛する父親となってしまった。
10年前の自分からは想像もできないことになっている。逆に10年前の自分が目の前に現れたら、娘の前でみせる笑顔が気持ち悪いと、ぶん殴られるかもしれない。
だがそれで良いのだ、娘が好きであるということに何の罪もない。そこには愛しかない、優しい世界が広がっているのである。
第二子も女の子を望むように
第二子はまだ誕生していないし、嫁も妊娠すらしていないのだが、もしもう一人子供を授かることができるのであれば、女の子を望む。それも切実に!
きっと男の子には男の子の可愛さもあるのだろうが、人間である以上、知らないものを強く望むことはできない。カツ丼を食べたことのない人間が、カツ丼を食べたいなんて言わないのと同じだ。
娘の可愛さを知ってしまった以上、第二子もやっぱり娘がほしいと思ってしまう。息子を望んでいた過去の自分はどこへやらだ。
二人の娘に囲まれて送る生活は、至上の楽園に匹敵するぐらいの心地よさなんだろうな(むしろ三人娘でもいいな!)。なんて都合の良いことばかり考えているので、思春期の娘を育てる難しさを知っている世のベテランパパからはツッコミをくらいそうではあるが、今だけは勘違いパパでいさせてほしい。
おわりに
やはり自分の子供は特別かわいく思えるし、娘という存在は僕の中でも重要なポジションを占めるようになった。ある意味人生の価値観を変えてくれた存在と言っても過言ではない(それが良い悪いという話ではなく)。
もう娘に囲まれて死ねればそれでよいとさえ思っている。そのぐらい今の僕は娘に夢中で、溺愛しているのだ。
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